カテゴリ: 東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(16)
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(15)
今回は見付宿と浜松宿の蓋を紹介します。
28 見付宿
所在地:遠江国磐田郡
現在地:静岡県磐田市見付など
日本橋からの距離:60里17町45間(237.6km)
桶ケ沼に生息するベッコウトンボがデザインされています。ベッコウトンボは絶滅危惧種ですが、多数の個体群生息地としては他に、大分県中津市野依新池、鹿児島県薩摩川内市藺牟田(いむた)池などがあるそうです。JR東海道本線磐田駅南口に有りました。
29 浜松宿
所在地:遠江国敷地(ふち)郡
現在地:静岡県浜松市中区伝馬町など
日本橋からの距離:64里24町45間(254.0km)
市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」と「出世法師直虎ちゃん」、市の木松、「浜松城」がデザインされています。この蓋を見つけると出世運が「うなぎのぼり」になるそうです。北区のみおつくし文化センターホールの前に有りました。
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東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(14)
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(13)
今回は金谷宿と日坂宿の蓋を紹介します。
24 金谷宿
所在地:遠江国榛原(はいばら)郡
現在地:静岡県島田市金谷
日本橋からの距離:53里2町45間(208.4km)
「その昔、島田に嫁いできた花嫁は、晴れ着姿で大井神社へお参りし、その姿で町を歩き披露するのが習わしとされていました。それは気の毒ではないかと花嫁を気遣う心から、女の命「帯」を大奴が木太刀に飾り、安産祈願とあわせて、人々への披露を行うことになりました。そうなると親たちは嫁入り道具の中でも特に帯に気を配るようになり、娘を気づかい、はるばる親が来る。 逸品を見ようと商人が来る。さながら帯のファッションショーとなったのが帯まつりの始まりです。」(島田市観光協会HPより)
25 日坂宿
所在地:遠江国佐野(さや)郡
現在地:静岡県掛川市日坂
日本橋からの距離:54里26町45間(215.0km)
駕籠舁きと松がデザインされています。日坂122に有りました。
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東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(12)
今回は藤枝宿と島田宿の蓋を紹介します。
22 藤枝宿
所在地:駿河国志太(しだ)郡
現在地:静岡県藤枝市藤枝3丁目など
市の花藤と市の木松、市の鳥鶯、「富士山」がデザインされています。下薮田に有りました。
23 島田宿
所在地:駿河国志太郡
現在地:静岡県島田市本通など
橋を架けることが禁じられていた大井川を越すための蓮台(河川を越すために人を乗せた乗り物)越と「富士山」がデザインされています。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」の馬子唄は有名です。大井川蓬莱橋渡橋受付の前に有りました。
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東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(11)
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(10)
今回は江尻宿と府中宿の蓋を紹介します。
18 江尻宿
所在地:駿河国庵原郡
現在地:静岡県静岡市清水区江尻町など
日本橋からの距離:41里35町45間(164.9km)
旧清水市のデザインで市の花霧島躑躅がデザインされていますが、市章は静岡市の市章に変更されています。JR東海道本線清水駅西口に有りました。
19 府中宿
所在地:駿河国安倍郡
現在地:静岡県静岡市葵区伝馬町など
日本橋からの距離:44里24町45間(175.5km)
徳川家康顕彰の蓋で「久能山東照宮」と駿河湾、三保の松原、「一富士二鷹三茄子」がデザインされた消火栓の蓋です。県庁前信号交差点を七間町通りに入った路上に有りました。
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東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(9)
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(8)
東海道五十三次宿場町のマンホールの蓋(7)
今回は沼津宿と原宿の蓋を紹介します。
12 沼津宿
所在地:駿河国駿東郡
現在地:静岡県沼津市本町など
日本橋からの距離:30里9町(118.8km)
戸田(へだ)港から眺めた「富士山」と愛鷹(あしたか)山の風景、市の花浜木綿、市の木黒松がデザインされています。千本港町73のファミリーマートの向いに有りました。
13 原宿
所在地:駿河国駿東郡
現在地:静岡県沼津市原など
日本橋からの距離:31里27町(124.7km)
前の蓋に、1854年に日露和親条約締結交渉の為に下田に来航した時に安政東海地震による津波で大破して宮島村(現富士市)沖で沈没したロシアの「ディアナ号」の替わりに日本で最初に建造された帆船「ヘダ号」と、名物の「タカアシガニ」が追加された新しい蓋です。戸田地区の「三光寺」周辺に数枚有りました。
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