マンホールの蓋撮影日記

全国のマンホールの蓋を撮り歩き、紹介しています。

タグ:#杉原千畝

今回は敦賀市と福井市の蓋を紹介します。
先ず敦賀市の蓋です。
ふ・福井県(敦賀市4)
資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」と敦賀湾、天筒山、金ヶ崎緑地がデザインされています。敦賀港
は1920年代にロシア革命で家族を失ったポーランド孤児が、1940年代にはリトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝が発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港だそうです。「人道の港 敦賀ムゼウム」は敦賀港が「人道の港」と称えられる歴史を伝えています。「ムゼウム」はポーランド語で資料館の意です。「ムゼウム」の前の歩道に有りました。

次に福井市の蓋です。
ふ・福井県(福井市9)




令和4年度の「マンホール・ワン・コンテスト」の最優秀作品の蓋で、足羽山公園遊園地に居るカピバラとオニオオハシがデザインされています。JR北陸本線福井駅西口に在る「ウェルカムセンター」の前の広場に有りました。

続きます。

今回は敦賀市の蓋を紹介します。
43・敦賀市







市の木松と気比の松原、「立石岬灯台」がデザインされています。港町9-1に有りました。


44・敦賀市2







満開の桜の木がデザインされています。金ケ崎町7-1に有りました。



45・敦賀市3








市章と松がデザインされています。市野々町2-27-2に有りました。



ふ・福井県(敦賀市4)

資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」と敦賀湾、天筒山、金ヶ崎緑地がデザインされています。敦賀港
は1920年代にロシア革命で家族を失ったポーランド孤児が、1940年代にはリトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝が発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港だそうです。「人道の港 敦賀ムゼウム」は敦賀港が「人道の港」と称えられる歴史を伝えています。「ムゼウム」はポーランド語で資料館の意です。「ムゼウム」の前の歩道に有りました。

続きます。

このページのトップヘ