マンホールの蓋撮影日記

全国のマンホールの蓋を撮り歩き、紹介しています。

今回はせたな町の蓋です。
せたな町は人口9千人の漁業と農業が主産業の町です。2005年に、北檜山町、大成町と合併して、瀬棚町からせたな町になりました。奥尻島はここからフェリーで1時間半の距離です。日本初の女性医師荻野吟子が1897年から1908年まで医師として瀬棚町で活動したそうです。
225・せたな町・旧瀬棚町






旧瀬棚町の蓋で町のシンボルの三本杉岩とカモメ、町の花ハマナスがデザインされています。展示用でせたなクリーンセンターに有りました。


227・せたな町32・旧北桧山町







旧北檜山町の蓋で町の花水仙がデザインされています。展示用で下水処理場に有りました。


226・せたな町2・旧北桧山町







旧北檜山町太櫓地区の蓋で太櫓の海の景色がデザインされています。



228・せたな町4・旧北桧山町3








汚水桝です。展示用で下水処理場に有りました。


229・せたな町5・旧大成町





旧大成町の蓋で奇岩「親子熊岩」がデザインされています。展示用で次の一枚と共に「道の駅 てっくいらんど大成」に展示してありました。ここにあるものだけだそうです。




230・せたな町6・旧大成町2






「道の駅 てっくいらんど大成」のマスコットキャラクター「てっくい(この地方の平目の呼び方)のひららちゃんとてっ平君」だそうです。

檜山振興局管内の蓋は今回で終りで、次回から後志(しりべし)振興局管内の蓋を紹介します。
続きます。

今回は厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町の蓋です。
先ず厚沢部町の蓋です。
厚沢部町は人口4千人の農林業が主産業の町です。ジャガイモのメークイン種の発祥の地で、町のイメージキャラクター「おらいもくん」はメークインがモチーフです。
19・厚沢部町







「おらいもくん」がデザインされています。本町R227の歩道に有りました。

次に乙部町の蓋です。
乙部町は人口が4千人で、森林面積が83%を占める平地の少ない漁業と農業が主産業の町です。漁業ではスケトウダラ漁が主力で「釣りたらこ」が特産品です。「鮪(しび)の岬」の柱状節理は北海道の天然記念物です。
92・乙部町2







鮪の岬と鮪の岬公園の桜がデザインされています。展示用で次の蓋と共に浄化センターに有りました。

お・乙部町3







町の花ユリと館の岬の白亜の断崖がデザインされています。

続いて奥尻町の蓋です。
奥尻町は人口3千人の漁業が主産業の日本海に浮かぶ島の町です。奥尻町へは函館空港から飛行機で、または江差町とせたな町からフェリーで行きます。1993年の北海道南西沖地震で多数の犠牲者が出ましたが町は完全復興を果たしてしています。超A級の難読地名、「烏頭川」、「海栗前」、「東風泊」があります。読めますか?
75・奥尻町







町のマッスコット「うにまる君」がデザインされています。

続いて今金町の蓋です。
今金町は人口6千人の農業が主産業の町です。ジャガイモの「今金男爵」は有名です。現在の町の市街地の基礎を築いた「今村藤次郎」と「金森石郎」両氏の性の冠字から町名が今金町となったそうです。旧石器時代のピリカ遺跡が発掘されています。エベレスト単独無酸素登頂に挑んでいる登山家「栗木史多」の出身地です。
38・今金町





町のにある「デ・モーレン(オランダ語で風車)」と町のマスコット「ピリカ」と「ピーリ」、町の花チューリップがデザインされています。展示用で浄化センターに有りました。

難読地名の読み方は、「ぶしがわ」、「のなまえ」、「はせどまり」です。
続きます。

今回から桧山振興局の江差町の蓋です。
江差町は人口8千人の漁業と農業が主産業の町です。江戸時代から明治にかけて北前船交易で栄え、北海道の文化はここから開花したと言われています。民謡「江差追分」の全国大会は51回と回を重ねています。同じ呼び名の枝幸(えさし)町がオホーツク海に面してあり、こちらは北見枝幸と呼ばれています。
52・江差町





江戸幕府が所有したオランダで建造された軍艦「開陽丸」と海岸の風景がデザインされています。「開陽丸」は1868年に暴風雪のため江差沖で座礁、沈没したが、復元されて係留されています。


続いて上ノ国町の蓋です。
上ノ国町は人口6千人の漁業と農業が主産業の町です。江差町の南に隣接しており、ここも北方交易の拠点として栄えた町です。北海道の南方の日本海側を「上ノ国」、太平洋側を「下ノ国」と呼んでいたことが町名の由来だそうです。
101・上ノ国町








町の花エゾヤマツツジがデザインされています。


06・上ノ国町









ポケふたです。

続きます。

今回は八雲町と長万部町の蓋です。
先ず八雲町の蓋です。
八雲町は人口18千人の酪農と漁業が主産業の町で、2005年に桧山振興局の熊石町と合併しました。その結果、二海郡(ふたみぐん)が新設され、日本で唯一の太平洋(内浦湾)と日本海の両方に面した町となりました。以前、日経の日本百名湯で第一回で紹介された「銀婚湯」があります。また、「バター飴」発祥の地だそうです。
419・八雲町







北海道の地形と星がデザインされていますが訴求ポイントが解りません。展示用で役場に有りました。


420・八雲町2・旧熊石町






旧熊石町の蓋でカモメと名産品のアワビがデザインされてます。熊石歴史記念館の前の歩道に有りました。


次に長万部町の蓋です。
長万部町は人口6千人の漁業が主産業の町です。珍しい町名の由来は、アイヌ語の「オサマムベツ」(川尻が横になっている)若しくは「オ・シャマンベ」(ヒラメのいる所)からだそうです。長万部駅から駅弁「かにめし」が車内販売されます。また、長万部駅から室蘭本線(長万部駅~岩見沢駅)が分岐しています。函館本線は函館駅をスタートして長万部駅から北上して、小樽、札幌を経由して旭川までの幹線ですが、現在札幌と函館並びに本州を結ぶ特急列車は小樽経由でなくここから室蘭本線と千歳線経由で走っています。函館本線の敷設時は内浦湾沿いは山が突き出ており難工事が予想されたので小樽経由になったそうです。難読地名「国縫」があります。読めますか?
81・長万部町3







町の花アヤメと町章がデザインされています。展示用で終末処理場に有りました。


80・長万部町2








アヤメがデザインされています。


次回から桧山振興局管内の蓋を紹介します。
難読地名の読み方は「くんぬい」です。
続きます。 

今回は木古内町と七飯(ななえ)町、森町の蓋です。
先ず木古内町の蓋です。
木古内町は人口5千人の農業と漁業が主産業の町です。江戸時代から交通の要所で、福島町、松前町を回って江差町方面に向かうR228、JR江差線、海峡線が走っています。江差線は木古内駅と江差駅の間が2014年5月11日限りで廃線となります。海峡線は木古内駅と青森県の中小国駅の間を走る路線です。
103・木古内町





江戸幕府が幕末期に保有した木造軍艦「咸臨丸」がデザインされています。磐城から小樽に移住する片倉家の旧臣を乗せた咸臨丸は、暴風雨により木古内町サラキ岬で破船、沈没した。道南いさりび鉄道木古内駅前の通りの歩道に有りました。

次に七飯町の蓋です。
七飯町は人口29千人の農業が主産業の町です。水稲以外にもリンゴ他の果樹も栽培されています。JR大沼公園駅があり観光客も多く訪れます。近年宅地開発が進められて函館市のベッドタウン化しており、人口増加率が道内で3番目に高い町です。北海道では他所にない赤松並木があります。
296・七飯町







町章がデザインされています。



続いて森町の蓋です。
森町は人口17千人の漁業と農業が主産業の町で、2005年に砂原町と合併しました。北海道物産展や駅弁大会で旨い物と名を成している「いかめし」は、JR森駅の駅弁業者安部弁当店(現いかめし安部商店)が1941年に考案したものだそうです。渡島半島のランドマークである駒ヶ岳が聳えています。
410・森町






町の花桜と駒ヶ岳がデザインされています。展示用で汚水桝の蓋と共に浄水場に有りました。


17・森町








ポケふたです。



411・森町2








汚水桝です。

続きます。

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